朝日新聞2012年08月30日 朝刊 オピニオン1 (あすを探る 政治)多くの人々の声すくうには 菅原琢  政府は、原発政策の今後の方針を策定するに当たり、あらゆる手を尽くして「民意」を探ろうとしている。パブリック・コメントを募集し、全国で意見聴取会を開催するのに加え、メディアの世論調査を収集し、討論型世論調査を主催している。これらの作業経過はネット等を通じて公開され、政策決定の場と人々の間の双方向性が確保されている。自民党政権時の政策決定とは隔世の感がある。  こうした政策過程の導入は、政権交代、そして原発事故が過去の政策決定の密室性を浮き彫りにしたことが要因となっていることは間違いない。しかし、さらにその背後には日本政治の構造的な問題が横たわっている。それは、人々と政治の距離である。草の根の人々の声を継続的に吸収する仕組みが、日本の政界では欠如しているという問題である。おそらく、広く人々の声を聞くことができていないという自覚があるからこそ、民主党政権はここまで政策決定過程をオープンにしたのだろう。  代議制民主主義において、政策決定の場と人々をつなぐのは議員であり政党である。かつての自民党政権では、自民党政調部会と中央の省庁、これらに働きかけを行う業界団体が政策過程の中心に位置していた。これは「鉄の三角形」と呼ばれるほど強固なものであったが、この中で人々の声は自民党議員を通じて反映されることとなっており、確かにその声は政策形成に影響を与えていた。  ただ、ここでの声の主は、社会のあらゆる人々、というわけではなかった。後援会などを通して議員が日頃付き合う人々は、農林水産業や建設業の従事者、中小企業経営者、自営の商店主などに偏る。こうした層が政治に近づくのは、多かれ少なかれその生計を政治に依存しているからである。また多くの場合、日本の社会経済が成長する中で、衰退する側に立たされていた層である。  この点、民主党でも大差はない。自民党との最大の違いは、労働組合の支援を受けている点だろう。しかし、その労組構成員の中心は製造業や公務員であり、都市部のホワイトカラーや新興産業の組織率は低い。そして、労組の強いかつての花形産業、安定していると思われた業界の多くが、今や衰退期に入っている。自民党政権と民主党政権は時代が違うだけで、同じ構造の中にいる。  日本の政治家は、選挙運動や政治活動を手助けしてくれる、一部の層の人々とばかり接触する運命にある。この少数の人々の手を借りなければ、地域で区切られた選挙区の選挙を勝ち続けるのは難しい。日本の2大政党はこのような政治家を束ねただけの存在である。結果、社会のごく少数としかつながっていない大政党という奇妙な存在が、政策形成の中心に座り、特定層のための政治を行うことになる。そして、多数の人々がここから取り残される。社会保障制度の改革が遅れ、財政赤字が拡大し、少子化が止まらないのは、歴代政権下で議員が個別利害の要求や調整に終始し、全体の問題の解決をおろそかにしてきたためである。  だが、紛れもなく、近年の政治現象の中心にいるのはこの取り残された多数の人々である。「無党派層」の拡大、内閣支持率の大幅下落、極端に振れる選挙結果といった現象はこの人々が作っている。これらは日本政治の混迷の一端であり、結果であり、そして要因となっている。したがって人々と政治の距離の問題を解消しなければ、現在の政治の混迷状況は今後も続くことになる。  では、この構造的問題はどのようにして解消されるのだろうか? 人々とのつながりの弱さに気付いた政界の自浄作用に期待できるのだろうか。あるいは、既成政治家を駆逐するような勢力が台頭し、改革してくれるのだろうか。  いずれにしろ、これを決めることになるのはわれわれである。これはわれわれの問題なのである。  (すがわら・たく 1976年生まれ。東京大学特任准教授・政治過程論。著書に『世論の曲解』など)